寺伝によると応永二十四年(一四一七)に丹波安国寺(足利尊氏公のお墓があるところとして有名)第五世住職雲林妙冲禅師(うんりんみょうちゅうぜんし)により開創されたといわれています。
雲林禅師は安国寺を経て、更に鎌倉円覚寺七十八世、京都南禅寺八十四世と室町期の禅僧の最高位を極めました。 開創以来三百有余年を経た安永三年(一七七四)に旧地は定かではないものの、現在地へ移転再建しました。
現在の本堂を再建するに当たり、当山住職・智睦和尚が、舞鶴を治めていた牧野豊前守惟成公の許しを得て、旧加佐郡一帯(現・舞鶴市)を托鉢しました。 托鉢は明和二年(一七六五)四月より月三回行われ、約十年掛けて再建の資金を得て、檀家の方々と力を合せて安永三年四月十一日に上棟されました。 以来、二百四十有余年もの間、風雪に耐え今日もご本尊を安置する信仰の場として役割を果しています。
1004頃 | 寛弘 | 伝承では京田の安子池より地蔵像が掘り出される。 | 『子安地蔵尊像修復奉加帳』 |
1175 | 承安 5 | 地蔵菩薩坐像が造立される。 同時期に、阿弥陀如来像・毘沙門天立像も造立される。 |
胎内墨書銘 |
1417 | 応永24 | 雲林妙冲、善福寺を開創する。 | 『寺社明細帳』等 |
1465 | 寛正 6 | 長屋重連・小法師丸父子が幸谷神社を再建する。 | 同神社棟札銘 |
1597 | 慶長 2 | 幸谷神社の屋根が修理される。棟札の筆者は万願寺ヵ。 | 〃 |
1599 | 〃 4 | 十倉山崎神社が大坂方により破壊される。 | 『わが郷土まぐら』 |
1629 | 寛永 6 | 上嶽善正により阿弥陀像が修理される。仏師大和国右京。 寛永年間、大火により善福寺焼失ヵ。 |
台座内面墨書銘 『ふるさと女布』 |
1639 | 〃 16 | 善正、還化する。 | 『善福寺過去帳』 |
1650 | 慶安 3 | 洪水の為、地蔵堂が倒壊する。以後、善福寺に遷される。 | 『子安地蔵尊像修復奉加帳』 |
1681頃 | 天和 | 住持周牧首座により善福寺本堂が再建される。 | 善福寺棟札銘 |
1745 | 延享 2 | 近江国住人国松氏より地蔵堂鰐口を寄贈される。 | 鰐口銘 |
1765 | 明和 2 | 牧野豊前守治世の時、住持智睦が善福寺移転費用を賄う為 加佐郡中を托鉢し始める。 |
棟札銘 |
1774 | 安永 3 | 観禅寺の旧跡(現在地)に善福寺を移転する。 | 〃 |
1843 | 天保 14 | 阿弥陀如来坐像の台座蓮弁が修理される。 | 台座框陰刻銘 |
1850 | 嘉永 3 | 地蔵像を修復する機運が高まる。 | 『子安地蔵尊像修復奉加帳』 |
1907 | 明治 40 | 仏師乾類三郎により地蔵・毘沙門・開山像が修理される。 | 胎内修理墨書 |